カ テ ゴ リ

なぜ企業不祥事が絶えないのか?


コムスンの不祥事

バブル崩壊後、失われた15年から脱却し、景気もようやく回復し好調を維持している報道がなされている中、社会保険庁の5000万件の管理不祥事は今、国会を巻き込んでの大騒ぎになっている。『親方日の丸』と風評されている公務員の怠慢な職務姿勢は、もう国民も慣れっこになっているが、小生が非常に残念に思っているのは、民間企業である介護医療の最大手の一つ、グッドウィル・グループのコムスンが起こした不祥事である。


株式を上場した時1株が2千万を超し、それがニュースで報道され折口雅博社長の映し出された顔を、今でも思い出せる。それは、とても印象的ですがすがしい顔であった。それに引き替え、この度の顔は、見るに忍びない哀れさで、同じ人間がかくも変わるものかと、何とも言えない寂しさを感じたものである。


堀江貴文氏・村上正彰氏、そして折口雅博氏とベンチャービジネスの成功者として、世の脚光を浴び栄華を極めた寵児は、あえない幕切れであった。


経営者としてのふさわしい資質とは何か

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経営者としてのふさわしい資質とは、いったい何か?
経団連(日本経済団体連合会)という良識の府が、堀江貴文氏を経団連に入会させた時には、小生は、日本企業の未来に託せるものはもうないかもしれないと感じた。宗教でいうところの断末魔を感じたのである。


もちろん堀江貴文氏の言い分もあるとは思うが、なぜ、このような情けない企業不祥事が後を絶たないのか?
(1)その根源的な原因はどこにあるのか?
(2)これが資本主義の真の姿なのか?
(3)経営者の誇りとは何なのか?
(4)企業倫理は夢のまた夢なのか?
(5)企業の社会的責任の認識はないのか?


人間の修身に目覚めよ

今の社会は企業だけに限らず、あらゆる分野で難問が山積していて、手の施しようがない状態がますます深刻化しつつあるように思えてならない。行き着くところまで行かなければ目が覚めないのか? いや、そこ迄行けば『後の祭り』なのである。それとも、小生の被害妄想なのか? いや、決して被害妄想ではないのである。断じて違うのである。


『修身』に目覚めよ!

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今こそ、人間自身が人間自身に還らなければならない。人類・生命誕生から700万年の歴史過程で、幾多の闘争や略奪を繰り返してきた教訓のもと、現実は虚々実々いろいろあっても、平和と秩序を作り上げながら人間らしい人間に進化してきたはずなのである。


しかしながら、近代社会を作り上げてきた欧米型唯物論哲学・科学は、確かに物質的には豊かになったが、精神的価値は軽視され、人間自身も人間としての大切な『何か』を失いつつあり、その象徴が市場経済中心の資本主義である。


その『根性』とは『自利』そのものである。つまり、『己さえよければ良い』ということである。このような自利根性からは正しい企業環境が育つはずはないのである。


企業は組織が動かすのではなく、人間が動かしているのであり、社会の公器でもある。今こそ、人間の『修身』に目覚めなければならない。不祥事が不祥事を起こすのではなく、人間が不祥事を起こしているのである。だからこそ『修身』なのである。


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