近代経済学の終焉
企業不祥事を起こし最近マスコミを賑わしている会社名を挙げてみると、姉歯設計事務所を中心とした木村建設・総合経営研究所・ヒューザー・イーホームズ、堀江貴文氏率いるライブドア、60件以上の条例違反をしていた東横インホテル、証券業務の停滞を招いた東京証券取引所などが特に目につく。
このような不祥事を起こす会社は、いつの時代にもあるものだが、その内容が極めてお粗末である。企業家として社会的責任を負わなければならない重要な立場にありながら、倫理観や道徳観なるものが、感じられない。それどころか、どこかに開き直りさえ感じるところに欧米型経済学、そして、そこから生まれた経営学の終焉を感じるのは私一人だけではなかろうと思う。
明治以降、欧米文明・文化を積極的に導入し、欧米型経済学・経営学のもと世界でも稀にみる近代化に成功し、第二次世界大戦の負戦にも屈せず奇跡的に復活し経済大国になった日本、そして、それを中心になって支えてきた日本企業の未来はほんとうにあるのかと疑いたくなる。
最近、話題になっている、『国家の品格』という本がある。著者は藤原正彦という数学の碩学であり、専門分野とは関係のない門外漢のように思えるが、なぜ数学者をして国家論を書かずにおられない心境を起こさせてしまったのか。 一体全体、経済学者は何をしてきたのか?又、ノーベル経済学賞をいただいた人達は何をもって、賞をいただいたのか、憤慨の念を感じざるを得ない。
私は、日本国内だけの問題ではなく、世界的なレベルでの欧米型近代経済学の終焉を予言したい。 私は、経済学博士としての学位はいただいているが、それは、流通関係にかかわる極めて狭い範囲でのものである。しかし、その範囲にあっても、理想とする経済学・経営学を基本としてのものであり、この十八年間、私はそれを唱え続けてきたのである。そしてこの度『地球を救う経済学から生まれた経営学、コスミカリズムマネジメント』と銘うって、この一月から世に問うことに踏み出した。
欧米型経済学の限界
なぜ、経済学・経営学が権威を失い、魅力を失ってしまったのだろうか。私は真言宗の僧侶でもあるが、多くの人は『宗教こそ救済の主人公』と思われているのではなかろうか?私から言わせれば、『経済こそ救済の主人公』と信じている。
確かに、宗教は人の悩みごとを解決できるかもしれないが、大げさに言えば、ただそれだけである。 その点、経済は、人・物・金・情報・社会・国家・・・等々、あらゆる面を動かせる力を持っていると思うのである。宗教における神通力よりも経済における神通力のほうが、よっぽど強力なのである。その意味において、経済・経営に携わっている人の方が、真の宗教者に近いのである。なのにである。なぜもかくに、経済学・経営学は堕落してしまったのか。その原因はいろいろあるだろうが、次のことが考えられる。
一、宇宙の枠組から見ていない
経済学・経営学といっても、それは万物創成の根源である宇宙天地自然の摂理 にはそむけない。
一、生き物の本質を無視した、科学的・合理的経営法
近代的経済学は、アダムスミスを始祖として発展してきたが、それは、生き物の本質を無視した 無機質的・合理主義に立脚した科学的(?)経営法である。
一、人間の生きがいから経済面のみを優先
貨幣経済中心の現代社会の主役は『金』である。しかし、生きがいを創造するために、金を得る手段としての仕事であって、金がすべてではない。ところが、その金を主役にしてしまったために、拝金至上主義となった。アダムスミスも「国富論」の前に「道徳感情論」を出版している。つまり、物(金)と心の両輪の大切さを説いていたが、「国富論」だけが一人歩きしてしまった。
目に見えないものの中に本質がある
二十一世紀を迎える迄の二千年間は、大げさに言えば、欧米の論理中心で発展してきた。それは、唯物論哲学・科学であり、『目に見えるもの』『数値化』できるものしか認めないというものである。しかし、世の中、目に見えるもの・数値化できるものだけで、すべてが解決する程単純なものではない。その証拠に、あらゆる面において『数値化予測』は当たらないことが多い。コンピューターという最先端の文明の利器を駆使しても、明日の天気予測すら当たらないことが多い。
『今、泣いた烏がもう笑った』などという、人間の心境・感情をどうやって心理学は解明できるのだろうか。例えできたとしても、それは、ほんのごく一部にしか過ぎない筈である。とても数値化できないのが、人間の感情である。だからと言って、心理学を否定しているわけではなく、数値化できないものの中に『本質』が秘められているということを、無視したところに欧米型経済学・経営学の根本的な間違いがあったのである。
確かに、経済学・経営学においては数値化は必要である。そうでなければ、成り立たないことも事実であるが、経済学も経営学も人間が動かしているのである。しかし、人間を数値化するこは極めて難しいのである。その前提に立ったものでなければ、『生きた経済学・経営学』には成り得ないのである。
地球を救う新しい経済学・経営学の確立をめざす
私は、今、地球を救う経済学・経営学の確立をめざして、本格的にその啓蒙活動を始めた。それは、理論ではなく活学である。理論のための理論ではなく、実践すれば間違いなく、地球が救われるのである。今のような欧米型経済学・経営学を推進すればするほど地球は破滅に向かってしまう。 四十六億年続いた地球を滅ぼすわけにはいかない。
万類・人類が共尊共生できる経済学・経営学の確立こそ焦眉の急務である。そして、それは、日本でなければ絶対生まれない。声を大にしてもう一度言う。絶対なのである。それ位、日本国に内包している文明・文化の中には、その起源は縄文時代にさかのぼるのであるが、地球・世界の未来を救うだけのものが間違いなく有るのである。先にも述べたが、私はそれをコスミカリズムマネジメントと命名した。その詳細については、地球を救う経済学から生まれた「コスミカリズムマネジメント」を参照していただきたい。そして、それは、『産声』をあげたばかりである。
日本発新しい経済学・経営学は、宇宙森羅万象の普遍性から、文明・社会・経済・経営という連続線を循環しながら、大企業・中小企業が共尊共生できる画期的なものである。浜野保樹は『模倣される日本』(祥伝社新書)という著書の中で、「世界は日本をマネしてる」と言われているが、今こそ、日本人も脱欧米に目覚めて、日本独自のアイデンティティのもと、新しい経済学・経営学を世界に発信するべきである。世界は今、日本を待っているのである。