最近の目をおおいたくなる事件の奥にあるものは何か?
最近の世の中は一体どうなっているのか? また、これから先どうなるのか? ――そんな恐怖や不安な心を抱かずにはおれない。思わず目をおおいたくなるような事件が日常茶飯事のごとく続発している。
今、マスコミをにぎわしている、三菱自動車の欠陥車事件問題や長崎小6女児殺害事件を思うにつけ、日本の先行きに不安を感じたのは私一人であろうか。特に三菱自動車といえば、日本のリーディング・カンパニーの中に入る大企業である。社会的に最も責任の重い大企業が常識では考えられないような、許されざる不祥事を何年も内密にしていたために、尊い人命が奪われてしまった。会社関係者は、その事後処理に紛糾しているようだが、果たして、このような会社に存続し得る資格があるのだろうか。
もし、このような非常識極まりない会社が、何らかの制裁はされるにしても、存続し得るようでは、国家的恥であり、全くもって国民を愚弄していることに他ならない。また三菱自動車が所属している経済団体も安易な審判をくだすようでは、これまた団体の存在意義はないとはいえないだろうか。全くもって、日本の企業統治や倫理はどうなっているのだろうか。
また、長崎小6女児殺害事件にも将来の日本の暗雲を感じたものである。しかも、事件が起きたのは、学校施設の中である。人の命の値打ちが現代ほど軽んじられている時代はかつてなかったのではなかろうか。 マクロ的には国家間の利害による地域紛争は後を絶たないが、ミクロ的なレベルでの人命軽視化現象は、まさに世紀末現象を予測しているかのごとくである。
長崎の事件は、ほんとうに殺さなければならないような深い原因があったのだろうか。例えあったとしても、そう簡単に人は殺せないものではなかろうか。しかも、まだまだ世間的世渡りなど考えなければならない年でもないのに、かくも悲惨な事件がなぜ起こるのだろうか。そのような子供達を創った根本原因はどこにあるのだろうか。この国の未来を担う子供達はどうなっていくのか、そして教育もどうなっていくのか? 極めて危惧すべき状況になっている。
果たして、この日本国に将来はあるのか。不毛の国会討論を繰り返している政治、生活者不在の企業経営・教育の荒廃、等々数えあげればきりがない程の難問が山積しており、正に迷路にはまりこみ出口が全くもって見えない社会。しかも、それが地球レベルで起こっている。この国に、そしてこの地球に未来は果たしてあるのか? もしあるとすれば、それは、どこの誰(国)がそのための行動を起こすのだろうか。
近代的知性の大いなる反省
周知のように近代的知性は欧米的なものである。それはニュートンの万有力学を底辺とし、その上にデカルトの方法叙説、ダーウィンの進化論、アダムスミスの国富論、マルクスの資本論、フロイトの精神分析等々を中核とし、これらによって教育され、それによって育った世代の人々によって創られた信念的なものであった。
人間を中心として科学と技術を尊び、それによって輝かしい物質文明を創りあげた近代的知性は、突きつめるところ唯物論哲学であった。科学とは方法を見いだし、それを方向づけるのが哲学であり、技術はそれを具現化するものである。
欧米型唯物論哲学によって近代は、飛躍的に発展してきたことは、歴史の認めるところであるが、果たして正しかったのだろうか?破滅か継承(創造)かのぎりぎりのところまできており、大いなる反省をしなければならない。
人間中心・物質中心・目に見えるもの中心・科学中心の欧米型近代的知性は、目に見える(物質)側面のみを研究の対象とし、「心は科学の対象にならない」として、目に見えないものを否定してしまったのである。宇宙の神秘性・目に見えないものの実在性・測定不可能であるが経験的事実・生命の不滅などを否定し、計数的・計測的要素還元主義に偏重したのである。そして、その方向性を与えたのが唯物的哲学だったのである。それは「生命あるもの」の否定であり、その根源性にある「霊性」の否定でもあった。特に霊性の否定こそ欧米型近代的知性の最大の誤りであったと思うのである。
霊性の復活こそ急務である
最近の目をおおいたくなる事件の奥にあるものは「霊性の低下」の何ものでもない。宇宙に存在する万物は、宇宙の神秘的エネルギーである霊的生命体に心的生命体と物質生命体が融和されたものでできあがっており、人間も霊・心・物の三位一体である。それこそが、大自然の摂理(法則)そのものなのである。 そしてこのような文明史観こそ、東洋文明であり、その深奥が日本文明なのである。
日本人は縄文時代より、目に見えるものの存在(物質性)、目に見えないものの存在(精神性)、それを動かしている霊的存在(霊性)を認め自然崇拝(マナイズム)や精霊崇拝(アニミズム)、そして祖先崇拝も大切にしてきた民族である。
つまり、大宇宙の神秘的霊的エネルギーを直感的に感知し、それに畏敬し、すべての物事の中心に置いてきたのである。大自然の偉大なエネルギーの中に神(霊性)を見いだし、人間をその分霊としたのです。仏教のいうところの、「有情・非情・悉有仏性・山川草木国土皆悉成仏」つまり人間の生命にも、また大自然の生命にも、霊性(仏)が宿っている――という思想が生まれたのである。だからこそ、大宇宙や自然の偉大な力に対して謙虚であり、共尊共生して、生きることを大切にしてきたのである。
このような生き方こそ、霊的生き方であり、その本質こそ霊性であり、日本文明そのものである。 今こそこの霊性の復活が急務であり、続発している最近の事件の解決の道はもとより、人類が生き残る道はこれしかないのである。
世間はIQ(知性)・EQ(感)には目を向けているが、SQ(霊性)の価値認識が欠落している。SQこそ今最も必要とされているのである。近代的知性(唯物論哲学)においては非科学的とされた超心理学的な範疇にはいる、透視・読心術・予知・千里眼・念力等について、一九三五年よりアメリカのノースカロライナ州のデューク大学のライン博士を長とする超心理学研究室において、二〇年間の研究の結果、概ね肯定的結論が出されたのである。現在デューク大学は、超心理学研究のメッカ的存在である。
同じように、霊性においても、心理学の世界的権威であった故C・G・ユングは、直感力や感覚は霊的世界との関係を認めている。また、二〇世紀の偉大なる予言者と言われている故エドガー・ケーシーも、宇宙の神秘的な霊的存在を認めており、欧米型近代的知性に大きな影響を与えたキリスト教において否定的である輪廻転生も認めている。
そして、この欧米型近代的知性の限界を知り、一九七〇年代から宇宙天地自然を中心とした、新しい智慧体系の確立を目指したのが、フリッチョフ・カプラ、ジム・E・ラブロツク、ジェレージー・リフキン、デビット・ボームなどの、ニュー・エイジ・サイエンスの旗手たちであった。 また日本でも故深野一幸工学博士、天野仁理学博士、桜井邦明理学博士、無双原理の桜沢如一がおられ、当大学の高尾征治工学博士、真言密教の碩学山崎泰廣師も、その学匠である。
CMF運命創造学の歴史的価値と意義
「人づくり」構想の中心学である「運命創造学」は宇宙的視座に立ち、コスミカリズム(宇宙本位)を根幹に、「CMFの真理」を真髄として、魂からの人間開発をし、霊性向上のもと、成功と幸福を実現するカリキュラムであり、八つの新しい価値が内包されている。
このカリキュラムは、私の霊的体験や永年の修行、いろいろな専門分野の研究の集積を検証し完成した、二十一世紀に求められる成功と幸福の実践活学である。 このCMF運命創造学の地球的普及こそ急務であり、全人類の霊性の復活をなさしめるものである。 そして、その価値と意義は次第に、そして確実に認められつつある。
運命創造学に内包している8つの新しい価値
哲学的価値 |
地球上に現れた最初の米の一粒は人間が作り出したものではなく、地球上の動物・植物・昆虫・鉱物・・・・・人間(個)も宇宙森羅万象(場)から生み出されたものであり、宇宙森羅万象(全体=ムスヒ)から生み出された生命とムスヒ(融和)して生かされています。 どこまでも知性・理性からの真理を正しいとし、矛盾という存在を認めない欧米文化とは違い、万物は、有形無形につながって循環しており、相対する矛盾も真理であるという哲学性を内包しています。 |
科学的価値 |
近代科学は、目に見える顕象世界だけが対象になっていますが、それだけではすべてとは言えません。 なぜなら見えない潜象世界、そして無限を秘めている間象世界が見落とされているからです。 見える科学では、まだまだ解決されていない事実は多くあり、人間の運命も同じで、生命を生み出してくれた目に見えない祖先(過去)の中に運命のカギが秘められています。 目に見える世界の科学しか認めない欧米文化とは違い、日本文明は顕象・潜象・間象の3つの科学性を内包しています。 |
倫理・道徳的価値 |
人間の生命は肉体だけでなく、心体・幽体・霊体・法体の5つの生命体の有機的融和体でできあがっており、肉体が滅しても幽体(霊魂)は不滅で、輪廻転生します。 それゆえ、生前の生き方を大切にするという思想が生まれました。だからこそ、IQ(知性)・EQ(情性)・SQ(霊性)の3つの側面からの行き方を大切にしてきたのです。 欧米的な理論に基づく善悪・損得にしばられた倫理・道徳性を超越した、無限愛・母性愛に通ずる倫理・道徳観を内包しています。 |
平和的価値 |
人類は焼く7百万年前から進化しており、今地球上で暮らしているすべてのルーツは、約20万年前のアフリカにあると言われています。 現代社会は、国・人種・宗教・哲学などが争いの原因になっていますが、本来地球上のすべての人類は、国籍・宗教・文化・文明・思想を超えた親子・兄弟姉妹の関係にあるということです。 すべての人類(万類)は家族であり。それぞれは有形無形に繋がって生かし合って(融和して)いるという、日本独自の平和性を築き上げてきました。 |
文化的価値 |
欧米的な物質的・論理的・合理的価値中心の文化的価値ではなく、侘び・寂びに代表されるように『間』の中にも美を見いだし、セミの鳴き声に静けさを感じ、風鈴から涼しさを導き出す文化は独特のものです。 多面的に物事を捉え、また、非対照的・未完成的・非合理的なもの、全く逆の発想や霊性・情性を大切にする日本的文化価値を創りあげてきました。 |
芸術的価値 |
すべての物事を普遍美として捉えます。美しく生き、そして美しく死ぬ。 全体的な美しさもあれば、花一輪の美しさもあります。また散っていく花吹雪の美。さらに輪廻して、翌年には新しい命を芽吹かせます。 |
生命的価値 |
人間や動植物だけでなく、すべての物に命があります。だからこそ人間の供養だけでなく、魚や虫供養、針や包丁なども供養していくのです。 それは物が単なる物体ではなく、物のいのちと心のいのちが一体となったもので、その命の根源は同じ源から発しているという日本独特の生命観なのです。 だからこそ、物質的(経済的)価値と精神的(人間的)価値のバランスを大切にしてきました。また、人間の生命体も、宇宙そのものを縮小した小宇宙であると捉えています。 |
宗教的価値 |
日本は汎(多)神教です。ただ一つの絶対神を中心にした宗教戦争は今も続いていますが、日本では八百万神であり、すべてを包み込み融和させていきながら、それぞれの特色も生かすものを内包しています。 欧米的な一神教的宗教観ではなく、汎神教・多神教的宗教観を内包しています。 |