運命創造学に内包される8つの価値を中心に、日本の運命観は日本文明・文化そのものであります。この内容を前提にしていただき、人間性が崩壊しようとしている現代にとって、運命創造学の理論の元となっている『CMF総合人間教育』体系の必要性を解説してみましょう。
人間の心・精神性が崩壊しようとしている
21世紀をむかえ科学技術の進歩は、予測しがたい想像を絶するものになりつつあります。
デジタル技術の進歩は情報通信世界を飛躍的に進歩させましたが、その技術の基礎とするところは、アナログのように複合的放射状電波ではなく、単一電波であります。
どちらの電波も必要だと思いますが、科学技術に限らず、今後予測されるすべてのシステムがデジタル的になっていくでしょう。テレビも地上デジタル放送が始まろうとしています。
世界的傾向であるグローバルスタンダードは、世界標準という意味です。つまり、一つの統一したシステムで、すべてのものごとが構成され、それが起動力となり世界を動かすということです。つまり、一点集中ということです。
一つのシステムでものごとが動きだすということは、他との比較ができなくなり片寄りが生じたり、権力の集中や富の集中になりかねないのです。この傾向は既に顕著になりつつあります。
人間は総合的有機的融和体なのです。
このデジタル的無機的科学文明と、アナログ的有機的生命文明とが、ますます相反しつつある現状を考える時、果たして人類は生き残れるのかと疑問が湧いてきますが、哀しいかな、この回答は悲観的にならざるを得ません。
なぜなら、その答えが最も象徴的に現在の人間の姿(心)に現れているからです。
大人にせよ子供にせよ、万物の霊長としての人間という存在を、今の人達に求めるのは極めて困難な状況になり確実にその危機的エネルギーは拡大しつつあります。
凶悪事件の多発・残忍性、生命に対する価値観の希薄、犯罪の低年齢化をはじめ、学級崩壊・登校拒否・非行・ニートなどの増加といった諸問題は相手にされていない傾向さえあり、あまりにも事件が多くありすぎて、未来の日本の国を担う子供にとっての重要な問題が山積になっています。
なぜ人間の心が崩壊しようとしているのか
それを論じるためには、人間の生命体の仕組みと、この世に存在するすべてのものの仕組みとは何かを理解する必要があります。人間の生命は少なくとも、五つから成り立っている有機的融和体であるということです。(倫理・道徳的価値)
また、この世に存在するものはほとんどのものが、目に見えるものと見えないものとで構成されているということであります。(生命的価値)
物と心で全体なのです。少なくともこの二つの重要な視点から捉えねばならないのに、今までの世の中の失敗は物質的なものと見えるもの中心に偏ってしまい、心的なものや見えないもの、また、神秘的なものをおろそかにしていたのです。
この現象は明治以降の欧米文明流入と共に顕著になったのです。もっと極論的な言い方をすれば、明治以降知識人といわれる人たちは、欧米の科学文明に心酔し日本的精神性や宗教性を否定してしまったのです。くれぐれも誤解していただきたくないのは、宗教ではなく「宗教性」です。
ここに世界的経済大国になりながらも、人間を育てるという教育においては、極めて深刻な問題を今日起こした要因があります。つまり、人間の生き方の中から目に見えない精神性や宗教性を失ったところに、今日の本質的な欠陥があるのです。
日本文明・文化の中にある精神性とは
宗教性とは、仏教・キリスト教・その他、主義主張(イズム)を持った宗教ではなく、宇宙森羅万象の普遍性です。その本質は「生かし合う」ということです。(哲学的価値)
人という字もお互い支え合っているのです。このことを日本人は茶道・華道・柔道・剣道・武士道・商道・・・・というように「道の文化」として大切に育ててきたのです。欧米型文明の中には、相手を殺さずして勝つというような、武士道的な世界は決して見いだすことはできないのです。そして、道の中心をなすものは、天の理・地の理・人の理。つまり、自然の秩序・社会の秩序・生命の秩序の三つの秩序を調和させることが『道』ということであります(日本人の社会観)。
そして、自然界に存在するすべてのものの中に、尊い生命が宿っているということを察知していたのです。だからこそ、自然界に存在するもの、あるいは人間までをも八百万神として祀って大切にしたのです(宗教的価値)。
今もって尚、すべての日本人の中には縄文時代のアニミズム的(すべてのものに生命が宿っている)なものが深層意識の中には宿っているのです。
日本人は無宗教とか宗教的民族ではないと言われる人もいらっしゃいますが、日本人こそ宗教的民族であり、それが生活の中に自然に生かされていたからこそ、気づいていないだけなのです。そうでなければ、良きにつけ、悪しきにつけ神社・仏閣にお参りしたりする筈がないのです。
日本人の精神土壌には、このアニミズム的なものに古神道・仏教・儒教・道教等が融合されて、日本独自の精神土壌が形成されていったのです。古神道は正にアニミズム的なものだったのです。
日本人は水や火や古木や岩等々、いろいろなものにその生命を見い出し、それらを時としては神として尊厳性を与えて祀っていたのです。また、針供養・包丁供養等をして、魚や生命なき裁縫針にまで感謝したのです。
そして、見落としてならないことは、尊厳性の裏には「恐れ」や「穢(けが)れ」の思想があったのです。水や火は人々が生活をしていく上で、絶対的必要な生産力を持っていますが、時として火事や洪水を起こしていく恐怖感を与える破壊力も内在しています。
だからこそ、大切にしなければいけないのです。穢してはいけない、ということになったのです。このような恐れや穢れの思想は、人間の行動に抑制力を与えることの効果もあるのです。
この「抑制力」はとても大切なことであり、人間の動物的・野性的心理をコントロールすることにつながっているのです。人間に怖いものが失われていく、つまり人間が一番というような人間至上主義・科学至上主義が、自然環境の破壊や公害を生みだし、人間の精神性の破壊まで起こしているのです。
怖いものや穢してはいけないものを人間の生き方の中に大切にしていく、これも日本人が大切にしてきた宗教性なのです。 このような思想は「安全」という思想を生みだし、世界一といわれる治安のよい国をつくりだしたともいえるのです。
この宗教性を失ったところに、日本の精神土壌の崩壊があり、今日の社会の混乱と心の崩壊の本質的問題があるのです。
精神性を取り戻すCMF総合人間教育学
今こそ人間が人間としての精神性を取り戻し、安全で物と心の融和した豊かな社会を取り戻さなければなりません。そのために必要なことがあります。
それを体系化しまとめたものが『CMF総合人間教育学』です。木原秀成が提唱する総合人間教育とは、先にも述べた人間の生命体を五つの生命体の有機的融和体としてとらえ、陰陽四つの側面、つまり生命づくりの側面と生活づくりの側面の両側面から、宇宙森羅万象の普遍性にそって六感の教育をするということなのです。
そして人は、日々の生活の中で様々な選択をする時に、眼・耳・鼻・舌・身、そしてまとめとしての意(識)の六感を使うからであります。決して頭だけを使って選択するのではないのです。音楽や絵画等芸術性の中には、この六感を磨くものがたくさんあるのです。それと身と口と意(心)の三つの働きを通じて人間は生きていくのです。この身と口と意(心)の働きを通じて六感を磨き、陰陽四つの側面から、八つの生命づくりと八つの生活づくりをすることこそ、教育の理想であり総合人間教育なのです。
このCMF総合人間教育体系をカリキュラム化したものが運命創造学であり、人間が物質的価値中心の現代社会によって失われつつある精神性(霊性)を復活・向上させるものであり、21世紀の修身教育そのものであるのです。