祀祭政への回帰と再生なくして日本の未来はない
祀祭政の本質はマツリゴトであり、キーワードは「すまない…生命への祈り(祀)」「ありがたい…自然への祈り(祭)」「もったいない…社会への祈り(政)」。これこそが日本文明・文化の礎だ。
震災が教えてくれたもの
あの地震から約8ヶ月。季節は春が巡り、節電の暑い夏が過ぎ、台風と共に秋が来て・・・そして冬を迎えた。
未だ復旧・復興のかけ声はあっても、全体的にみればなかなか進んでいないのが現実である。
衣食住における、あらゆる面の豊かさが、実は当たり前でなかったことを今回の震災で私達は思い知った。
実感させられた家族の絆。暑さ寒さをしのぐためにふんだんに使っていた電気の大切さ。干渉しない代わりに、干渉されたくないという自己中心的な社会などなど・・・
日本人が本当に大切にしなければならないもの、忘れていたものを気づかせていただいたのではないだろうか。
その中にあって、政局も混乱している。この先どうなるのか? 法案は通っても、本当に成功するのかという不安の声も聞こえる。
地域によっては、復旧・復興を目指す運動が起こっているそうだが、被災地だけでなく、日本社会も本当の意味で大転換しなければならない。
鎖国をしても成り立つ国づくりを
私は、極端なことをいえば、鎖国をしても日本が充分成り立つような、国づくりを目指すべきだと考えている。
大震災の発生当時、多くの外国企業や人が、祖国に帰るなどされた。その方々を責めるわけではない。そういう方々には帰る国があると言いたいのだ。
しかし、私達日本人の大多数は、日本の国や、今住んでいる地域で生きていくしかない、ということを感じたはずである。
だからこそ今、日本人が「内向き」になって、日本の未来を見据えていかなければならない。内向きになるとは、消極的になるということでも、排他的になるということでもない。
私達はもっと大事なこと、例えば、中央と地方の関わり合い。個人と社会の関わり合い。農業と食料のかかわりなど、この国の約1億3千万の人達が、豊かで穏やかな最期をまっとうできる、そういう国づくりをするために、日本がどのように変わらなければならないのか、という事だ。
厳しい国際競争の中にあって、企業が生き残るためには、確かに外資も重要、輸出産業のさらなる発展も必要だ。
また、海外に工場を移すことも、企業の生き残りには大切なことなのかもしれない。
しかし、本当にその先に真の繁栄はあるのか、ということを考えなければならない時期に来ている。
個人主義が妨げる復興への困難
今の日本社会を動かしているほとんどが、明治以降、また第二次世界大戦後の欧米型の価値観に変わっている。その代表的なものが、「個」を中心にした仕組みだ。
企業も社会も個人も「個」で動き個人のしあわせには熱心だ。そして、あらゆるものが金儲けの道具になっている。
今のあらゆる問題は、個々が自分だけの損得を中心にしているため、噴出しているものも多い。
本来日本は「個と場」という両方の文化があった。森羅万象が補いあっているように、あらゆるものは集団や組織という共同体で維持されている。
この度の震災でも、場=共同体を真剣に守る必要を実感させられた。