現代経済学・経営学の問題点
経済は、人・物・金・情報・社会・国家・・・等々、あらゆる面を動かせる力を持っています。しかし、このような経済の閉塞感はなぜ起こったのでしょうか? そして、戦後の復活の時と何が違っているのでしょうか? その原因はいろいろあると思われますが、次のことが考えられるのです。
一、宇宙の枠組から見ていない
経済学・経営学といっても、それは万物創成の根源である宇宙天地自然の摂理にはそむけない。
一、生き物の本質を無視した 科学的・合理的経営法
近代的経済学は、アダムスミスを始祖として発展してきたが、それは、生き物の本質を無視した無機質的・合理主義に立脚した科学的(?)経営法である。
一、人間の生きがいから 経済面のみを優先
貨幣経済中心の現代社会の主役は「金」である。しかし、生きがいを創造するために、金を得る手段としての仕事であって、金がすべてではない。ところが、その金を主役にしてしまったために、拝金至上主義となった。アダムスミスも『国富論』の前に『道徳感情論』を出版している。つまり、物(金)と心の両輪の大切さを説いていたが、『国富論』だけが一人歩きしてしまった。
目に見えないものの中に本質がある
1世紀を迎える迄の300年間は、大げさに言えば、欧米の論理中心で発展してきました。それは、唯物論哲学・科学であり、「目に見えるもの」 「数値化」できるものしか認めないというものです。
しかし、世の中、目に見えるもの・数値化できるものだけで、すべてが解決する程単純なものではありません。その証拠に、あらゆる面において「数値化予測」は当たらないことが多いのです。コンピューターという最先端の文明の利器を駆使しても、明日の天気予報すら正確に当たりません。
「今、泣いた烏がもう笑った」などという、人間の心境・感情をどうやって心理学は解明するのでしょうか。とても数値化できないのが、人間の感情です。
だからと言って、心理学を否定しているわけではなく、数値化できないものの中に「本質」が秘められているということを、無視したところに欧米型経済学・経営学の根本的な間違いがあったのです。 経済学・経営学において数値化は必要です。
そうでなければ、成り立たないことも事実なのですが、経済学も経営学も人間が動かしているのです。このことを前提に立ったものでなければ、『生きた経済学・経営学』にはなり得ません。
日本型商道から転換し欧米型経営がもたらしたもの
日本は江戸時代までに日本独自の『商人道徳』という経済の仕組みを確立していました。
その精神は、明治時代に入り近代化の流れの中にあってもなお生き続け、昭和に入って終戦後、経営の神様といわれた故松下幸之助氏をはじめとする経営者によって引き継がれ実践され、その結果を残してきたのです。
しかし、残念ながら高度成長期の経過の中で、欧米型の経済学が主流となっていったのです。ムリ・ムダ・ムラをなくす合理化、経費節減のためのリストラ、利潤だけの追求、能力中心の成果主義…これらが経営の理想、当たり前の理論とされているのが今の経営なのです。