連載(1)八百万神(人)々の結集 現代社会12の不安(1)


人類はじまって以来、おそらく現代ほど物質文明が栄えている時世はないと思います。一歩外に出れば陸に車、海に船、また空には飛行機がとび交い、地球の上空はおろか星の世界へまで行けるようになりました。 通信網は有線無線を問わず網の如くに張りめぐらされ、遠くにいる人とも眼の前にいるように話せますし、世界のできごとも一瞬にして知ることができます。家の中に入れば電気・ガスの機器が整っており、ボタン一つ押せばものごとが思うように叶います。しかも、今注目をあびているIT(情報技術)の進化は、既存のすべての枠組みを崩壊せしめ、今まで考えられなかった社会の到来すら予感させられます。


しかしながら、表面上だけを見れば、本当に便利で幸福な毎日のように見えますが、事実はそうではないのです。政治・社会・青少年問題・離婚の急増・出生率の低下・年金問題・公害環境問題・老人問題・国際紛争・経済摩擦・エイズ等難病奇病の増加・教育問題・外国人労働者問題、また犯罪も非常に残虐さを増しています。二十一世紀ははじまったばかりですが、これらの不安の幾つかを拾いあげて分析してみましょう。


1 国際不安


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個人の自由を尊重し、経済的にも物欲を思う存分のばして、それの満足と幸福を理想とするアメリカを中心とした資本主義思想。それに対して、すべてを国家の公営とし個人を社会に奉仕させて全体としての幸福を追求しようとするソビエトを中心とした共産社会主義思想が世界を二分して、隙あらば他を征服して自分陣営にしてしまおうとして、虚々実々の謀略を戦わせておりましたのが、最近までの世界の情勢でした。


ところが、一九八九年の東欧の大革命をキッカケに、ソビエトまでもが共産社会主義思想の大転換をはじめました。このような急変する世界情勢の中で、各国は自分の生きる道を真剣に探しはじめているのですが、その改革が思うように進まない時、何かのキッカケで第三次世界大戦が起こらないとも限らないのです。特に、世界各国において局地的戦争は後を絶たず、隣国北朝鮮の動向も目を離せない状況にあります。また、経済格差による摩擦が別な形で国際情勢を混乱に陥れる不安があります。


2 社会不安


これは人間の本質を見失ったところからくる不安というもので、物質文明が進んで機械が人間にとって換わるようになって自然と生じてきたものです。はじめは自分の生活の便利さから機械を造った人間が、やがて機械に使われるようになり、組織を組み立てた人間が、組織の下敷きになってしまいました。人間がいつしか機械の部品となり、組織の単細胞となって自分の主体性を見失い、心のあり場がわからなくなってしまった不安です。


古き大スターであるチャップリンが演じて大ヒットした『機械と人間』という小説の中で、工場というマンモスのような怪物が朝になると「腹が減った」とサイレンでうなりをあげる。そうすると、たちまち鉄の扉がパッと口を開け、たくさんの生きのよい労働者が群れをなして、ぞくぞく吸い込まれ食われていく。夕方になるとこれらの労働者は精も根もつき、疲れ果てて鉄の口から排出される。


そのマンモス工場の怪物の腹の中では、すべてが流れ作業で機械的な騒音を立てつつベルトに乗って流れてくる。その場に立つ労働者は流れてくる品物を、千編一律に手を動かしているだけである。時間は正確に、寸分の油断も許されない。朝から晩まで、ただその一つを機械的に繰り返すだけである。全く機械の部品になってしまっている。夕方になって、ベルトが止まってもその労働者は、その動作を時計の振子のように繰り返しながら気が狂って出ていった、という内容の小説で、まことに今の時代を予言しておりました。


経済第一主義・効率第一主義からくる重圧が、職場放棄・ノイローゼ・人間不信を増大させ、その反動からくる犯罪の増加と残虐性が目立っています。社会全体がストレス状態になりイライラしています。  いつ、暴動的なことが起こらないとも限らない危険な状態になっています。


3 教育の不安


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学校教育においても、マンモス化し、機械化した講義、しかも学生各々の個性も意志も無視した単なる就職への踏み台になってしまい、受験産業化しています。そのような学校組織に対する学生たちのやり場のない憤りと反抗、そして、登校拒否の増加と共に家庭内暴力・非行への芽を間接的に育てるような危険性すらあります。教師も親の理解不足・協力不足や圧力等による自信喪失からくる事勿れ主義になっています。すべての教師がそうだといっているのではありませんが、情熱的な教師ほど、親・学校組織・学生との狭間で苦しんでいます。


明治維新に日本が西欧の文化やシステムを上手に吸収し、世界に例を見ない繁栄を築けたのも、江戸時代に戦のなくなった平和社会は、武士達をして私塾を開かしめ、子供たちの教育水準を飛躍的に向上せしめたお蔭であると言っても過言ではありません。 師と弟子の関係を大切にし、教える者と教えられる者との心が一つになっていました。そのような教育環境はどこに行ってしまったのでしょうか。教育の中にも効率主義が導入され、知・情・意・知育・徳育・体育と掲げながらも知識教育に偏っているように思えてなりません。子供までもが、損得でものごとを判断していたり、犯罪をも引き起こしています。友情・思いやり・協調性・物を大切にする心は失われ、果ては生命(いのち)までも簡単に捨ててしまいます。


このような子供に誰がしてしまったのでしょうか。『その国の将来を見るには、若者たちを見ればよい』といわれています。今の日本の子供たちの姿の中に日本の将来の期待がかけられるでしょうか。  すべては教育にかかっているのです。その教育に不安があります。(つづく)


友情・思いやり・協調性・物を大切にする心は失われ、果ては生命(いのち)までも簡単に捨ててしまいます。


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