宇宙森羅万象の普遍性そのものから、ものごとをとらえようとするのがコスミカリズム(宇宙本位)であり、その視座に立って、成功と幸福を創造しようとするのが運命創造学です。運命には法則があるのです。あなたもそれを身につければ、運命はあなたの想い通りになるのです。
運命を良くするためには
自分の生き方あり方を変えることに目を向けること
ご利益信仰では本当のしあわせは得られない
最近、テレビでもスピリチュアルな面を扱った番組が人気を呼んでいます。占い師や霊能者による人生相談、超能力による病気治療をレポートしたり、行方不明の人を特殊な能力を使って捜索したりといろいろな面からのアプローチが見られます。
これは目に見えない世界の観点からの、さまざまな運勢改善法が一般の人たちにも浸透してきている傾向に思われます。
少し前までは、そういう番組は色眼鏡を通して見るような『きわもの』的なものが多かったのですが、この頃は肯定的な扱いをする番組も作られるようになりました。 これは、人々の関心が霊とか運命など、これまで懐疑的に捉えられてきた現象、目に見えない形而上の世界を積極的に受け入れようとする表れ で、いいことのようにも思われます。
しかし、必ずしも全面的に賛成しているわけではありません。というのも、あまりにも個人の幸せということに視点が置かれ、日本人が元々もっていた高い精神性、本当のスピリチュアルな面に焦点をあてたものではないからです。平たくいえば、現世のご利益ばかりを追求しているように思えます。
それは、安易な問題解決法といわざるを得ません。人々がご利益ばかり求めすぎるので、教祖的立場の人を信じたり、その心を逆手に取った宗教まがいのものがはびこったりするのです。 神仏や教祖に頼って生きることは楽かもしれませんが、それでは運命は変わりません。自分の運命を変えることができるのは、教祖でも霊能者でも占い師でもないのです。
例えば、泥棒して盗んだお金で浄霊してもらい、いい名前をつけてもらい、吉方位で旅行して、風水が完璧な家に住んだら、すばらしい人生が送れるでしょうか。これは極端な例かもしれませんが、私たちは大なり小なりそういう過ちを犯してはいないでしょうか。
運命を好転させるために
ここで考えていただきたいのは、そういうものだけに頼っていて本当に良いのか、ということです。
私も、これまで多くの人の悩み事や病気の相談に乗ってきました。 そして、そういった難問や病気なども、なぜそうなるのかという根本の原因をつかみ、そうならないような生き方や、過去・現在・未来の3つの次元から運命を修正・改革・創造できる方法を学ぶことが大切であると説いてきたのですが、多くの方々は自分の目先のことが解決すればそれで満足で、結果的に長い目でみた時には、生き方が変わらないために、現象面は違っても同じ運命を繰り返しているということになってしまっているのです。
また、神仏とは宇宙自然の摂理・法則に秘められている『偉大なる霊的な何かの働き』の象徴としての別称なのです。そして宗教とは、本来その宇宙自然の摂理(宇宙リズム)に沿った生き方を学び、人を高い境地へと導くものなのです。 あまりにも多くの人が間違った神仏観・宗教観を持っているのです。
人間として一番大事なのは、人としてどうあるべきか、どのように生きたら良いかということに目を向け、宇宙リズムに沿って、人生の本質から正していかなければ、運命は好転しないということです。
宇宙リズムに生き方・あり方を合わせる
地球上のあらゆるものは、宇宙の営みから育まれ、自然の絶妙なバランスの中で共生しています。そして実は宇宙そのものが共生の世界で、CMF地球運動では『共尊共生』と呼んでいます。 お互いがお互いを生かし合い支え合おうとすれば、国も社会も人も共に繁栄していけるはずです。先ほどの例でいえば、泥棒という行為は、相手と生かし合うものではありません。むしろまったく正反対の行いです。
自然は、摂理に反するものはそれを正そうとして反作用が働きます。公害を例にあげれば、自然の摂理の中で循環によって浄化されるものもあれば、浄化できずに残り、生命に被害をもたらす結果を生むものもあります。また浄化の速度も長くかかるものもあるでしょう。これが宇宙リズムなのです。
それと同じように相手を損なう行為を行えば、それに対してバランスを取ろうとするのです。いわゆるカルマ(業)が生じてしまうのです。カルマの大きさによって、謝ることですむ場合もあれば、時間のかかるものもあるでしょう。 自分に内在する無限の可能性を信じ、開発し、自然の摂理・法則に自分自身の生き方あり方を合わせていけば、その過程で色々なことが起こっても、必ず人生は良い方向に好転できるのです。
自然の摂理に沿った生き方とは何か、生命とは何か、その本質を学び身につけることのできる、人生に活かせるカリキュラムが『運命創造学』なのです。